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HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)のお話「テイラー・バートン」

HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は歴史上有名なダイヤモンドを数多く手に入れ、多くの人と共有しようとしてきました。今回はテイラー・バートンのお話です。 テイラー・バートンはイギリス映画を代表するリチャード・バートンが銀幕のスターであったエリザベス・テイラーの40回目の誕生日に贈った、超有名なダイヤモンドです。 両者の名前を取ってこの名称で呼ばれています。 テイラー・バートンはペアシェイプ型にカットされた、大きさ69.42カラット(13.9g)のダイヤモンドで、研磨した当時の品質は最高のDグレード(透明)でした。

テーラー・バートンの原石は1966年に南アフリカのプレミア鉱山で発見されました。原石の大きさは240.75カラット(48.15g)でした。テイラー・バートンの原石を購入したのはハリー・ウィンストン氏でした。 テイラー・バートンの原石がニューヨークに到着した後、ハリー・ウィンストン氏とクリーブ職人のパスター・コロン・ジュニア氏は、テイラー・バートンの原石を6ヵ月にわたり研究し、マーキングをしてから削り、クリーブする箇所を特定するため、何度も製図を描き直したと言います。 そして、クリーブする当日、クリーブした後に、クリーブ職人のパスター・コロン・ジュニア氏は一言もしゃべらず、作業台の上にある割れたダイヤモンドに手を伸ばすと、角縁めがねの奥からほんの一瞬ダイヤを見つめてこう叫んだそうです。 「何と美しい!」

テーラー・バートンは1967年に裕福で社交界の名士であったポール・アネンパーグ・エイムス夫人に買い取られます。 そして、1969年にニューヨークのオークションに出品されたテイラー・バートンは、最終的にカルティエが105万ドルで落札します。 しかし、落札をめぐって激しく争ったリチャード・バートンはテイラー・バートンを得るためにその後もカルティエと交渉を行い、遂に翌日、リチャード・バートンが妻エリザベス・テイラーのために購入し、メディアの注目を集めました。 この時から正式にテイラー・バートンという名が付いたようです。 1978年、リチャード・バートンとエリザベス・テーラーは離婚し、テイラー・バートンはエリザベス・テーラーによって再びオークションにかけられ、約50万ドルで落札されました。 現在はサウジアラビアの大富豪が保有しているとの事です。 テイラー・バートンはエリザベス・テイラーが保有している間に欠けてしまい、現在の品質は最高グレードではなくなっています。


テイラー・バートンの画像
テイラー・バートン
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HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)のお話「ヨンカー」

HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は歴史上有名なダイヤモンドを数多く手に入れ、多くの人と共有しようとしてきました。その一つがヨンカーです。 ヨンカーは1934年1月17日、ヤコブ・ヨンカー氏が所有する南アフリカのプレトリアの南40キロの農場で発見されました。 ヤコブ・ヨンカー氏が掘り当てた原石は長方形で63.5×31.75mm、726カラットの大きさがありました。 726カラットのヨンカーは、史上7番目の大きさを誇る巨大なダイヤモンドでした。 ヨンカーは当時、カリナンに次ぐ巨大原石でした。 翌年1935年、ヨンカーの購入希望者がたくさんいましたが、優秀なブローカーを立てたHARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏がロンドンにて購入しました。 この事が、これ以後HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)社が大きなダイヤモンドを買い続けることができるきっかけになったとも言われています。 ヨンカーをアメリカに安全に輸送する手段が議論される中、HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏はわずか64セントの普通書留で輸送しました。これには誰もが驚かされたことでしょう。

ヨンカーは、アメリカでクリービングされた最初のダイヤモンド原石となりました。 14ヶ月の研究期間をかけて1936年7月に12個にカットされました。 その中で最大のものは66面のファセットのエメラルドカットで、当初142.90カラットだったものを1937年に125.35カラットにリカットします。

ヨンカーに対して、多大な愛着を感じていたHARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は、長年にわたりその売却を拒み続け、重要なチャリティー展示会のみに貸し出していたそうです。 1951年、遂にヨンカーを手放す決意を固めた彼は、当時のエジプトの国王、ファルーク王に売却しました。


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HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏の息子、ロナルド・ウィンストン氏

HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏を継いでHARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏の息子、ロナルド・ウィンストンがHARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)社代表取締役に就任します。 ロナルド・ウィンストン氏は時代に合ったビジネスを広げ、クオリティの高い1カラットの指輪を作ることで、若い世代の獲得に成功します。

ロナルド・ウィンストン氏は自宅に日本庭園や茶室を設けるほど日本の伝統文化を愛する親日家として知られています。 そんなロナルド・ウィンストン氏が1988年にホテル西洋銀座に日本初のサロンをオープンします。 同年、時計部門を新設し、1989年、腕時計シリーズ「アルティメイト・タイム ピース」をスタートします。 ロナルド・ウィンストン氏はハーバード大学出身の科学者で、航空宇宙工学でアメリカ・ロケット協会賞を受けています。 ロナルド・ウィンストン氏はその研究結果を時計のデザインにも生かしたと言われています。 1994年、貴金属ロジウムを使った腕時計「ガラテ」を製作、1997年9月20日、スミソニアン博物館にHARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)ギャラリーがオープンします。 1998年、大阪にサロンをオープンし、2000年9月25日には、2000年の記念事業として銀座中央通りに面した読広ビルの1階、2階にショップ展開しました。

その後、2004年、HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)社はアバー・ダイヤモンド・コーポレーションに買収されました。アバー・ダイヤモンド・コーポレーションはティファニー社に年間最低5千万米ドルのダイヤモンドを販売しているカナダ最大級のダイヤモンドを扱った会社です。 2006年2月、表参道ヒルズ本館1階にHARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)表参道ヒルズ店がオープンしました。 HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)表参道ヒルズ店は、銀座や大阪のHARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)との差別化のために、ブロンズを基調としたファサードや、ブラウン系の色をベースにした現代風のインテリアなどを採用しました。 店内のデザインは、「自由の女神」の修復を監修したフランス人建築家、ティエリー・デスポン氏が担当し、HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)表参道ヒルズ店のオープンを記念して、新作ジュエリー「マーキッサ・コレクション」を発表しました。


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ジュエリーブランド「HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)」のデザイナー、HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏 part.3

HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は726カラットの「ヨンカー」、726.60カラットの「ヴァルガス」、970カラットの「スター・オブ・シエラレオーネ」など、世界的に有名なダイヤモンドの原石を最も多く扱った人物です。自然に育まれ、HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏のビジョンにより磨き上げられた宝石たちは、伝説として語り継がれるようになりました。HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は、これらの宝石たちを世界中の人々と共有したいと考えました。 HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏がどのように数多くの宝石を人々と共有しようとしたのかを見てみましょう。

1949年、HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は「コート・オブ・ジュエルズ」と呼ばれる大きな展示会を企画し、一般の人たちに地球上で最も豪華な宝石の数々を公開しました。 1951年、HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は127.01カラットの八角形のダイヤモンド「ポーチュギーズ」を購入し、これを1963年にワシントンD.C.のスメソニアン博物館に寄贈しました。 1958年には、フランス国王ルイ14世やマリー・アントワネット妃などが所有し、身に付けた人たちが皆、次々と不幸になったという「ホープ・ダイヤモンド」を、1964年には世界最大級(253.7カラット)の無傷に近いダイヤモンド原石「オッペンハイマー」をスミソニアン博物館に寄贈しました。 スミソニアン博物館には、HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏が寄贈したジュエリーのコレクションが陳列され、世界の有名なダイヤモンドの約1/3が一度はHARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏の手の中にあったと言われています。マリリン・モンローは、映画「紳士は金髪がお好き」(1953年)の中で、「ねえ、HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)、ダイヤモンドのこと、何でもいいから教えて…」と歌ったほどです。 1960年、パリのルーブル美術館にて「フランス王室の宝石」の展覧会を開催しました。

HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は宝石を見て欲しいということで、生涯自分の顔写真をマスコミに公開しなかったそうです。 ダイヤモンドに対するアツい想いが伝わってきます。


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ジュエリーブランド「HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)」のデザイナー、HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏 part.2

HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏の言葉: "If I could, I would attach the diamonds directly onto a woman's skin." 「もし可能であれば、私は女性の肌に直接ダイヤモンドをつけてみたい。」

HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は壮麗な宝石を慈しみ、そのような宝石で身を飾った女性に情熱を燃やしました。HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は美しくデザインされた貴金属よりも、宝石自体がデザインを形作るということに着目しました。このアプローチにより、女性の首筋や手首を包み込む立体的なフォルムを作り出し、軽くて柔軟性に優れたプラチナワイヤーセッティングを生み出したのです。

HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏の美意識は、目に見えないセッティングに配された宝石に比類なき輝きを与えました。 HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は、自然や草花の有機的フォルムにも、大きな関心を抱いていました。そして、クリスマスリースからヒントを得て、精巧にカットされた複数のダイヤモンドをリースの葉のように立体的に一塊に集めた斬新なデザインを思いついたのです。このようなジュエリーデザインを着想できる能力は、ジュエリー業界に衝撃をもたらしました。HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は、それぞれの宝石の魅力を最大限に生かし、その美しさと輝きを高めることができました。

HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏の言葉: 「私は、人々に貴重な宝石のことをもっとよく知って欲しい。それは、上質のダイヤモンドやルビーやエメラルドが代々受け継がれる大切な宝物になることを彼らが忘れているからだ。」


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