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HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)のお話「ヨンカー」

HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は歴史上有名なダイヤモンドを数多く手に入れ、多くの人と共有しようとしてきました。その一つがヨンカーです。 ヨンカーは1934年1月17日、ヤコブ・ヨンカー氏が所有する南アフリカのプレトリアの南40キロの農場で発見されました。 ヤコブ・ヨンカー氏が掘り当てた原石は長方形で63.5×31.75mm、726カラットの大きさがありました。 726カラットのヨンカーは、史上7番目の大きさを誇る巨大なダイヤモンドでした。 ヨンカーは当時、カリナンに次ぐ巨大原石でした。 翌年1935年、ヨンカーの購入希望者がたくさんいましたが、優秀なブローカーを立てたHARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏がロンドンにて購入しました。 この事が、これ以後HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)社が大きなダイヤモンドを買い続けることができるきっかけになったとも言われています。 ヨンカーをアメリカに安全に輸送する手段が議論される中、HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏はわずか64セントの普通書留で輸送しました。これには誰もが驚かされたことでしょう。

ヨンカーは、アメリカでクリービングされた最初のダイヤモンド原石となりました。 14ヶ月の研究期間をかけて1936年7月に12個にカットされました。 その中で最大のものは66面のファセットのエメラルドカットで、当初142.90カラットだったものを1937年に125.35カラットにリカットします。

ヨンカーに対して、多大な愛着を感じていたHARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は、長年にわたりその売却を拒み続け、重要なチャリティー展示会のみに貸し出していたそうです。 1951年、遂にヨンカーを手放す決意を固めた彼は、当時のエジプトの国王、ファルーク王に売却しました。


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HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏の息子、ロナルド・ウィンストン氏

HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏を継いでHARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏の息子、ロナルド・ウィンストンがHARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)社代表取締役に就任します。 ロナルド・ウィンストン氏は時代に合ったビジネスを広げ、クオリティの高い1カラットの指輪を作ることで、若い世代の獲得に成功します。

ロナルド・ウィンストン氏は自宅に日本庭園や茶室を設けるほど日本の伝統文化を愛する親日家として知られています。 そんなロナルド・ウィンストン氏が1988年にホテル西洋銀座に日本初のサロンをオープンします。 同年、時計部門を新設し、1989年、腕時計シリーズ「アルティメイト・タイム ピース」をスタートします。 ロナルド・ウィンストン氏はハーバード大学出身の科学者で、航空宇宙工学でアメリカ・ロケット協会賞を受けています。 ロナルド・ウィンストン氏はその研究結果を時計のデザインにも生かしたと言われています。 1994年、貴金属ロジウムを使った腕時計「ガラテ」を製作、1997年9月20日、スミソニアン博物館にHARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)ギャラリーがオープンします。 1998年、大阪にサロンをオープンし、2000年9月25日には、2000年の記念事業として銀座中央通りに面した読広ビルの1階、2階にショップ展開しました。

その後、2004年、HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)社はアバー・ダイヤモンド・コーポレーションに買収されました。アバー・ダイヤモンド・コーポレーションはティファニー社に年間最低5千万米ドルのダイヤモンドを販売しているカナダ最大級のダイヤモンドを扱った会社です。 2006年2月、表参道ヒルズ本館1階にHARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)表参道ヒルズ店がオープンしました。 HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)表参道ヒルズ店は、銀座や大阪のHARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)との差別化のために、ブロンズを基調としたファサードや、ブラウン系の色をベースにした現代風のインテリアなどを採用しました。 店内のデザインは、「自由の女神」の修復を監修したフランス人建築家、ティエリー・デスポン氏が担当し、HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)表参道ヒルズ店のオープンを記念して、新作ジュエリー「マーキッサ・コレクション」を発表しました。


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ジュエリーブランド「HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)」のデザイナー、HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏 part.3

HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は726カラットの「ヨンカー」、726.60カラットの「ヴァルガス」、970カラットの「スター・オブ・シエラレオーネ」など、世界的に有名なダイヤモンドの原石を最も多く扱った人物です。自然に育まれ、HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏のビジョンにより磨き上げられた宝石たちは、伝説として語り継がれるようになりました。HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は、これらの宝石たちを世界中の人々と共有したいと考えました。 HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏がどのように数多くの宝石を人々と共有しようとしたのかを見てみましょう。

1949年、HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は「コート・オブ・ジュエルズ」と呼ばれる大きな展示会を企画し、一般の人たちに地球上で最も豪華な宝石の数々を公開しました。 1951年、HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は127.01カラットの八角形のダイヤモンド「ポーチュギーズ」を購入し、これを1963年にワシントンD.C.のスメソニアン博物館に寄贈しました。 1958年には、フランス国王ルイ14世やマリー・アントワネット妃などが所有し、身に付けた人たちが皆、次々と不幸になったという「ホープ・ダイヤモンド」を、1964年には世界最大級(253.7カラット)の無傷に近いダイヤモンド原石「オッペンハイマー」をスミソニアン博物館に寄贈しました。 スミソニアン博物館には、HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏が寄贈したジュエリーのコレクションが陳列され、世界の有名なダイヤモンドの約1/3が一度はHARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏の手の中にあったと言われています。マリリン・モンローは、映画「紳士は金髪がお好き」(1953年)の中で、「ねえ、HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)、ダイヤモンドのこと、何でもいいから教えて…」と歌ったほどです。 1960年、パリのルーブル美術館にて「フランス王室の宝石」の展覧会を開催しました。

HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は宝石を見て欲しいということで、生涯自分の顔写真をマスコミに公開しなかったそうです。 ダイヤモンドに対するアツい想いが伝わってきます。


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ジュエリーブランド「HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)」のデザイナー、HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏 part.2

HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏の言葉: "If I could, I would attach the diamonds directly onto a woman's skin." 「もし可能であれば、私は女性の肌に直接ダイヤモンドをつけてみたい。」

HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は壮麗な宝石を慈しみ、そのような宝石で身を飾った女性に情熱を燃やしました。HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は美しくデザインされた貴金属よりも、宝石自体がデザインを形作るということに着目しました。このアプローチにより、女性の首筋や手首を包み込む立体的なフォルムを作り出し、軽くて柔軟性に優れたプラチナワイヤーセッティングを生み出したのです。

HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏の美意識は、目に見えないセッティングに配された宝石に比類なき輝きを与えました。 HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は、自然や草花の有機的フォルムにも、大きな関心を抱いていました。そして、クリスマスリースからヒントを得て、精巧にカットされた複数のダイヤモンドをリースの葉のように立体的に一塊に集めた斬新なデザインを思いついたのです。このようなジュエリーデザインを着想できる能力は、ジュエリー業界に衝撃をもたらしました。HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は、それぞれの宝石の魅力を最大限に生かし、その美しさと輝きを高めることができました。

HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏の言葉: 「私は、人々に貴重な宝石のことをもっとよく知って欲しい。それは、上質のダイヤモンドやルビーやエメラルドが代々受け継がれる大切な宝物になることを彼らが忘れているからだ。」


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ジュエリーブランド「HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)」のデザイナー、HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏 part.1

ジュエリーブランドHARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)のデザイナー、HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は1896年にニューヨークで生まれました。父、ヤコブ・ウィンストンは宝石商でした。 12歳のとき、HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は質屋で1個25セントで売られていた緑色の石を2カラットのエメラルドだと見抜き、それを買って、宝石商である父のところへ持ち帰ったところ、2日後に800ドルで売れたというエピソードがあります。幼少の頃から宝石への眼力が鋭く、当時から天才的な才能を発揮したようです。こうして、HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は「キング・オブ・ダイヤモンド」と呼ばれるようになります。

HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は15歳でロサンゼルスに引っ越し、そこで店を開いた父親の宝石商で仕事を始めました。 そして、HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏は1920年に、24歳でプレミア・ダイヤモンド社をニューヨーク五番街535番地に設立しました。 第一次世界大戦後、生活が苦しくなったヨーロッパ貴族がたくさんの宝石類を換金のために市場に売り出しました。これらを当時の新興富裕層のステイタスシンボルとなるシンプルなデザインのジュエリーにリメイクして、売り込みました。1925年にはアメリカの大富豪ストダート夫人の遺産コレクションを落札した後、そのコレクションを125万ドルという当時として破格の値段で売却することに成功します。ここでの収入を元に、1932年、現在のHARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)を立ち上げます。それ以来、HARRY WINSTON(ハリー・ウィンストン)氏が手がけてきた大粒のダイヤモンドの数は、宝石業界でもトップクラスと言われています。


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